仕事のこと

ここ数ヶ月仕事のことをこの日記に書いてないんだよなぁ〜。まぁそんなものに興味ある人なんてどこもいないと思うんだけども、自分の記録として残しておきたいと思います。


以下とてもつまらない駄文。
今の会社にはもともと郊外の山奥にあるゴルフ場を知り合いに紹介してもらい、すぐ辞めるつもりで入社しました。案外に自分の性にあったのかそのまま11年経過。しかし、そのゴルフ場を経営している本社はすごく遠い存在でわたしには縁のないところでした。ところがある日突然本社のおえらいさんが尋ねてきてわたしだけを呼ぶのです。なんだろうと思ったら、本社の経理担当が辞めるからその代わりでわたしに来てほしいというわけです。しかも二週間前にwそのとき、ちょうど自分が仕事以外で責任を負っている事柄の責任がさらに範囲が広がり、土日に休みがとれないことが悩みだったので、本社は完全週休二日制、わたしにとっては好都合。人間関係も円満で最高の職場だったゴルフ場でしたが、土日休みの魅力に胸を躍らせ、二週間後には本社勤務となったわけです。それはちょうどASKAさんのマイゲーツアーに参加したころ。

で、私は経理担当となったものの引継ぎ期間はたったの一ヶ月。経理にとって一番の正念場の期末決算はほど遠く、お先真っ暗、でもやるしかないから前期の資料や伝票をひっくりかえして独学で決算を3回乗り越え、やっとこれから軌道にのっていくかも・・・・と思った今年の4月。忘れもしないASKAさんで名古屋遠征した次の週にまた呼び出され、社内での異動を言い渡されたのであります。それからが地獄でした。今まで後輩だった年下の子たちに仕事を教えてもらうのはいいけど、わたしのポジションはほぼ雑用。決まった仕事はもちろんあるけれど、誰もがやりたくないような気が遠くなるような大量書類の整理や大量の伝票の整理などなど本当は主要な仕事ではない手の空いた時間にやるような仕事を全てまわされるポジションでありました。まぁ・・・それはいいんです。仕事と言われれば社員としてやらなければいけません。かえって経理の頃より頭を使わないのでラクでもありました。一番の悩みは年下の後輩である女王様の存在でした。今までは部が違ってたので「先輩」として一応敬ってくれていたようだけど私が下っぱになった途端その本性があらわれてきたわけです、ある日の朝私が出勤したら机の上に大量の書類がおいてあってなんだろうと思ってたら「あ、それシュレッダー。」とアゴでわたしに指図するわけです・・・・・。

今まで生きてきた中で最大の屈辱でした。よっぽど怒鳴りつけてやろうかと思ったけどこういう人間として最低レベルの人とケンカしたところで自分が余計に傷つくだけで、どうせ大騒ぎして大げさに上司に告げ口されてわたしが悪くなるに決まってると思ったら本当に悔しいけど怒りを抑えるしかありませんでした。毎日毎日のことをあげればキリがないのだけど、そのような環境で仕事をしていたので気力は落ちる一方で、でも仕事以外で選挙活動もしなくてはならず、毎日がきつくて苦しくて、なんでわたしだけこんなに苦しいめにあうんだろう?と涙が出ない日はなかったほどです。このままの状態が続けば会社を辞めるしかないとも思ったけど後輩ごときに負けたくなかった。辞めてしまうのは簡単だけど結局ヤツから逃げることにならないか?と葛藤の日々でした。しかしこんな日は一生続かないはずだと言い聞かせやっと少し仕事を覚えた矢先、忘れもしない先週のChageの細道から帰ってきた翌日また「異動」を言い渡されたのであります。(ライブ参戦がターニングポイントなんだろうか?)結局5ヶ月間でまた大きく変わったわけです。


わたしには心のよりどころがあり、人生の師匠がいます。その方に教えていただいた私自身の座右の銘は「幸福は忍耐という大地の上に咲くことを忘れてはならない」であります。
ひたすら「忍耐」を言い聞かせ、幸いにも他の部の同僚たちがわたしを支えてくれて、どんなにアゴで使われようがいやな仕事を押し付けられようが、その後輩や会社のためではなく自分のために頑張って「いつか必ずこういう状況は変わる」と強く願い続けました。が、こんなに早く異動できるなんて思いもよらなかった。辞めなくてよかった。願いは必ず通じるものです。

ただしわたしがいたポジションに別の後輩が行ってしまったので全力で支えてあげないとと思っています。

そんなつまらない会社に16年勤めています。(やっぱり早く辞めたい。)